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今日の日記。

昨日の夜(今日の今朝方?)、上手く寝付けなかったので、昼夜逆転してしまいましたorz。
というわけで、今日は学校お休み。
まぁ授業自体は休講だったんでなかったんですけどね。
明日は生活時間帯戻して、必ず行こう。
受験料申し込まなきゃいけないしね。

そういえば、昨日のゲーセンの補足。

FAXX灰やってきました。
いや、これムズイよ。
BP70ぐらい出た。
ハード抜け出来ないかも…

あと、嘆きのBP数が141だったんですが、これって多いんですかね、それとも少ないんですかね?

補足終了。

題名の話。

まずはこちらの記事をご覧下さい<(_ _)>

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/965846.html

日本の学力低下が叫ばれてる昨今、皆さんいかがお過ごしですか?

ゆとりゆとり、と馬鹿にしてたんですが、どうやら自分がゆとり教育第1期生らしいorz
自分は1985年生まれです。
そういえば、ちょうど自分の入学したときから1年生と2年生の理科と社会がなくなって、その代わりに生活っていう科目が出来たっけ…
あと、中学校3年生の時から総合学習っていうのが始まった。そのおかげで、今まで文化祭は普通にクラスとか部活でお店を出す形式だったのが、文化祭に総合学習が割り当てられて、自分たちが防府市について調べたことを発表する会になってしまいましたorz
まさに「文化」祭…
高校生1年生のときにOC(オーラルコミュニケーション)という授業があったんですが、これもゆとり教育の一環だったのかな、それとも昔からあったのかな?
一応教科書買わされましたが、OCの時間はOC完全無視で普通のグラマーの授業でした。そりゃそうか…
円周率とか台形の面積は普通に習いました。

さて、自分のステータスはこれぐらいにしてですね、本論へ入りたいと思います。

非ゆとり世代がゆとり世代を馬鹿にすることが出来るのか、という問題について。
Fラン大学の非ゆとりと東大のゆとりのどっちが頭がいいかは一目瞭然のような気がします。
というわけで、とりあえずゆとり世代全体を馬鹿にできるのは、非ゆとり世代の東大出身者だけじゃないでしょうか?
別に、非ゆとりだからってもれなく賢いってわけじゃあないと思うしね。

さて、そんなことはどうでもいいんだ。
自分が主張したいのは、「もうちょっと基礎教育をきちんとすべき」ということです。
情操教育、集団規律、思いやり…なんてのもいいですが、教育に一番求められるべきものはやっぱり「読み・書き・そろばん」ではないでしょうか?
変に、のびのびした教育的なものを求めると、「読み・書き・そろばん」がおろそかになるのではないでしょうか?
そもそも、初等教育なんてそんなにたいした事ができるはずがない。
教育を受けて次に来るのは就職なんだから、それに必要なことだけをとりあえず重点的に教えるべきではないでしょうか?
特に、「読み」は重要だと思います。
「書き」と「そろばん(計算)」の部分は機械に取って代わることが出来ますが、「読み」は人間の思考そのものだし、これが出来なければすべて出来ないと思います。

次は、大学の再考です。
今の日本の高い高校進学率から見れば、高校は大体の人が行くと考えていいでしょう。
しかし、そこから先は様々です。
就職する人もいるだろうし、専門学校にいって技術を学ぶ人もいるでしょう。最近は大学進学率が非常に高いらしいです。2年前くらいに、日本の大学進学率が50%を越えたそうです。
しかし、これはちょっと異常な数字じゃないでしょうか?
そもそも、高等教育機関である大学に入学するに値する人間が日本にそんなにいるのでしょうか?
大学のレジャー化はかなり前から進んでいます。
しかし、Fラン大学に行く価値はどのくらいあるのでしょうか?
いやいや、それぞれが主観的に行く価値があるかどうかではなく、社会全体として貴重な労働資源に対して(多くは)4年間もいらないモラトリアムを与える必要があるのでしょうか?
よく聞く話、Fラン大学生は日本語が通じない、とかそんなのばっかりです。
それなら大学なんか行かずに(多くはどうせ親の金なんだろうし)、就職して社会に財やサービスを提供した方が、全体から見て有効だとざわわは思うのですが…
教育という観点から言えば、「読み・書き・そろばん」を習得した時点で教育の役割は終わってるといえるでしょう。
その後の大学教育は、専門的な職や技術的な職を除く普通の職業に入らない知識を与えるものです。
むろん、論理的思考能力などを磨くのには適した場所だといえますが、それが必要な職業は企業の中枢に位置するような職だし、社会全体の人がそれを習得すべきとは思いません。いわゆる社会の末端で働く人には必要の無いものだと思います(職業差別ではない、単なる役割分担)。

このような大学に対する意識の再考は、日本の学歴社会を前提とした価値観の破壊無しには成し遂げられないでしょう。
初等教育では「読み・書き・そろばん」だけは完璧に教え込むことが必要だし、企業はそうした優秀な労働資源に研修などを通じて教育を施すことにもっと重点を置くべきだし、大学は入学に適した学生をもっと真摯に選別すべきです。

まとめ。
教育とは「読み・書き・そろばん」をまず第一に習得させるべきである。
大学生というモラトリアムを与えてまで就業を免除することにたいして、もうちょっと厳しくすべきだ。

今日はこの辺で
☆GOODNIGHT☆(;д;)ノ~▽''。・゜゜・
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2007.05.01 / Top↑
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