上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
結局、松本復興大臣辞めちゃいましたねー。

前回の記事ではクズと断言したんですけど、あれからもうちょっと考えて、発言内容をよく検討したほうがいいと思ってもう1つ記事を書くことにしました。

結論的にはやっぱりクズ…なんですけど、多少発言内容は精査した方がいいと思います。

発言の簡潔なまとめはこちら↓

http://2r.ldblog.jp/archives/5204234.html


①「県でコンセンサスを得ろよ!」
②「そうしないとなにもやらんぞ、ちゃんとやれ」
③「今後から自分(知事)入ってきたけど、お客が入ってきたときは(力を強めて)自分が入ってきてから
お客さんを呼べ」
④「いいかぁ長幼の序がわかっている自衛隊ならやるぞ」
⑤「わかったか?(知事に向けて)」
⑥「(マスコミに向けて)今の最後の言葉はオフレコです。絶対書いたらその社は終わりだから」

に加えて、

⑦「知恵を出したところは助けるが、知恵を出さないやつは助けない」
⑧「九州の人間だから、東北の何市がどこの県とか分からない」



番号は便宜上のためにざわわが振りました。
では個別に検討。

①について。
コンセンサス=合意形成(コンセンサスとは)だそうで。
文脈的には水産特区についてのコンセンサス=合意形成を県主導で得ろよ、になるみたい。
これについては極めて技術的な行政上の問題であって、この発言だけからはその当否は分からない。
よって別に問題なし。


②について。
県主導でコンセンサスを得ておかないと国は何もしてやらないよ、ということでしょうか。
多少上から目線に聞こえますが、要は県は国にばかり甘えてないでちゃんと自分で問題の処理に当たれ、ということでしょうか。
水産特区の問題について、世間で報道されているような論調のように国が県を突き放していると見るのが正しいのか、それとも松本復興大臣の言うとおり県が仕事をしておらずそれを叱責していると見るのが正しいのか。両者はやっぱり極めて技術的な行政上の問題であって、専門家から見た発言内容の当否はともかく、発言内容自体が不謹慎という類のものではなかろう。


③~⑤について。
客人である松本復興より先に県知事が部屋にいるべきであり、礼儀に厳しい自衛隊ならやることである、とのこと。
「一般論として」の礼儀論としては正しい内容だと思われます。
まぁ、

国と県との関係に主従はないはずなのにもかかわらず大臣が「客人」であるかどうか
復興大臣と県知事の会議という専門技術的な場で礼儀論を説くが正しいかどうか
県知事は多忙であってそもそも礼儀云々の一般論が当てはまるかどうか(緊急時に礼儀は関係ない。そもそも作業着だし)

については大いに疑問がありますが。
ただ、彼は彼なりの礼儀論を年長者の立場から説いたのであって、そのこと自体は直ちに悪いことではないと思われます。


⑥について。
最後の言葉ってのは③~⑤の礼儀論だと思われる、文脈的に。
彼としては、礼儀論を説いたのは大臣としての立場としてではなく、年長者(多分)として一人の人間として説いたのだろう。
だから、マスコミがいちいちこの礼儀論の部分を取り上げて報道すべきものの類ではないと考えたんでしょうね。
公の場で礼儀を説かれたという県知事の立場もありますし(何度も言うけど、礼儀論の内容には大いに疑問があるが)。
そこで出た言葉が「オフレコ」だったんだと思われます。

これは「最後の言葉」って部分にも現れています。
つまり、①②の部分は専門技術的なことでありオフレコにする類のものではない、ということになるでしょう。
あくまでオフレコなのは礼儀論の部分。

ただし、その後に続く言葉はどう考えても擁護不能。
報道機関の報道の自由云々を詳細に論じるまでもなく、です。
行政側の人間が報道機関へ圧力をかけるような発言は、何があってもしてはいけません。
やっぱりクズ、ですね。多分、大臣になってから日が浅く、政権担当者の一員という自覚がなかったため、彼としては報道の自由云々を意識してなかったんでしょうが、ダメなもんはダメです。


⑦について。
要するに、国にべったり甘えてる公共団体ではダメだよ、自らも考え・意見を出して地方行政にあたってくれよ、ということを言いたかったんだと思います。
発言は多少乱暴ですが、これ自体は別におかしい内容ではないと思われます。
本当に公共団体側が国にべったりかどうかは技術的な問題なので、この発言だけからはその発言の当否が分かりません。


⑧について。
えー、アウトですよね。
仮に大学入試で北海道史が出たとして、「自分は山口県出身だから北海道の歴史はよく知らない、だからパスさsてくれ」とか言っても通じないんだから。
生まれと知識はまったく関係ありません。
擁護不能のクズ発言。







まとめ。
結局問題なのは⑥の一部と⑧だけですね。
報道での論調のような、「被災者の思いを踏みにじっている」的なものではないと思います。
上で検討したとおり、別に被災者をディスってるわけじゃないですから。
ただ、被災者にとっては自らの動向に重要な役割を担うはずの復興相大臣に、「こんなクズをよこしやがって」的な意味で思いを踏みにじられた、とも考えられなくはない。ちと遠くて苦しいですね。

…と、このように自分なりの考えをまとめたあと、同じような考え方をしてる人のコラムを発見したので引用させてもらいます↓

引用元:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110706-00000005-wsj-bus_all

【日本版コラム】松本前復興相の発言騒動、本当に問題なのはどの部分か
ウォール・ストリート・ジャーナル 7月6日(水)10時20分配信

 就任後たった9日目で、松本龍復興兼防災担当相が辞任した。震災復興に関する岩手・宮城両県知事との会談で「知恵を出さないやつは助けない」と述べたことなどがきっかけとなった。彼は就任以来、記者会見中にサングラスをかけたり、「自民党も民主党も公明党も嫌いだ」と述べたりしたことでも注目を集めていた。一連の行動を見ていると、復興相就任があまりに不本意だったがために、自ら不祥事を起こし退任につながる雰囲気を作り出そうと意図したのではないかと勘繰りたくなるほどだ。

 ただ、こういった行動が衆目を集めたのは、彼の言葉づかいの悪さや、いわゆる「上から目線」の態度の大きさ、東日本大震災の被災者に対する思いやりのなさなど、言ってみれば見かけや行儀作法に関する部分だ。筆者の個人的な見方としては、実はこうしたことは取るに足らないと感じている。取るに足らないというのが言い過ぎだとすれば、これぐらいなら目くじら立てて騒ぐ必要はないという感想だ。もちろん人柄がいいに越したことはない。だが、企業の経営者であれ、政治家や官僚であれ、顔も会わせたくないほど性格が悪い人間はいくらでもいる。そんな人々を「態度が悪いから」とクビにするだろうか。要するに仕事の成果を出していればいいわけだ。復興相の人柄がいくら下品に見えようが、復興に向けて貢献さえすればいいというのが私の考えだ。もちろん、政治家の中には人柄も仕事ぶりもそろってすばらしい人がいることもわかっている。だが、あえて今回の世間の極端な反応ぶりに異を唱えたい。

 とは言え、今回松本氏を取り上げたのは彼を擁護するためでなく、やはり批判するためである。私が気になったのは、前述した態度や言葉ではなく、宮城県知事とのやりとりを取材していたマスコミ陣に対しての彼の発言だ。知事が先に部屋にいなかったことに腹を立てた後、「今の言葉はオフレコだ。書いたらその社は終わりだ」と言い放ったのだという。

 筆者自身も元記者なので、オフレコ取材というものが存在することは知っているし、経験もした。オフレコ取材は通常、取材する側とされる側の相互信頼があった上で、約束によって取り決められる。つまり双方が合意した場合でなければ成立しない。また、ある言葉の発言者を守るよりも、その言葉を報道することのほうが社会的使命が重いと記者が判断すれば、そこでオフレコの取り決めは破っても仕方ないものだとも考えている。つまり、国民の知る権利というのは、それほど重いものなのだ。

 さて、今回のケースだが、公開の場で会っていた大臣と知事を取材していたわけだから、そもそもオフレコの合意は存在していない。にもかかわらず、自分にとって都合の悪い場面になったからいきなりオフレコを命じるというのは、勘違いも甚だしいと言わざるを得ない。

 ただし、このような出来事は最近よく耳にする。つい最近も、資源エネルギー庁長官が官房長官を批判した「オフレコ発言」を東京新聞・中日新聞の論説副主幹である長谷川幸洋氏がコラムに書いたことで、東京新聞の経済産業省の記者クラブ詰め記者に対して、事務次官などの幹部との懇談への「出入り禁止処分」が行われた。「オフレコ」という魔法の呪文を口にすればマスコミがおとなしく従うと思う人が多いのか、この言葉をやたらと連発する人たちが増えている。

 こういった勘違いはもちろん困る。ただ、こうした勘違いを許してしまっているのは、メディア側にも問題がある。つまりメディアの甘い態度がきっかけとなって「ちょっと脅せば、どうせ唯々諾々と従うだろう」とナメられてしまっているのだ。信頼関係を築くことと、癒着関係に陥ることは、距離の近さは似ていても、全く違う現象である。

 今回の松本氏の「オフレコ発言」が発せられた時、当初は地元のテレビ局だけが報じ、それがじわじわと広がったようだ。つまり、他のメディアはこの一方的なオフレコ宣言に従ってしまったということらしい。こんな態度が、発言者の勘違いを育んできたことにそろそろ気づかなければならない。ただし、当の地元テレビ局の「勇気ある」行為を英雄視する声があると聞くが、本来これが当たり前なのであって、あまり特別扱いすることには違和感を持ってしまう。

 世間では、とにかく松本氏の態度の悪さの方にばかり大きな注目が集まってしまった。だが、今回の騒動で本当に大切なのはそこではないということに、より多くの人たちに注目して欲しい。濫発されるオフレコ宣言に、なんの検証もなく言いなりになるマスコミばかりでは、多くの人々が、知るべき重要事項を知ることができなくなってしまうからである。

金井啓子(かない・けいこ)






結論。

クズはクズ、だが、どこがクズかはよく考えて発言しましょう。



今日はこの辺で
スポンサーサイト
2011.07.06 / Top↑
Secret

TrackBackURL
→http://djhide.blog39.fc2.com/tb.php/1145-ff509084

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。