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今日はこの前の金曜日に歯医者に行った話をしようか。




金曜日に歯医者に行った。
前回親知らずを抜いたんだけど、どうも耳の周りの痛みが治まってなかったので先生に言った。
先生は前回、3つの可能性を挙げてくれて、どれが原因なのか分からないと答えていた。
その3つは、

①親知らずの虫歯が原因の歯周病の類
②親知らずの神経関係
③親知らずの1本手前の歯(この歯は1年前に上半分を削って銀歯にした)の根元が化膿して、そこからばい菌が入り込んでいる

先生は①か②じゃないかと疑ってたみたいだけど(最初の診察では③の可能性は低いって言ってたから)、親知らずを抜いても症状がまったく改善しないので、③じゃないかと言われた。

医者のすごいところは、こういう風にあらゆる方面から可能性を探りながら、患者の拙い言葉(「○○が痛い」程度)を頼りに、中間的な処置をしながら原因を突き止めていく、ということ。
特に今回、ざわわは親知らずが酷い虫歯だったので、これが耳の辺りの痛みの原因だと思ってたんだけど、結局原因は③だったわけで、これは親知らずとは別の歯が原因ということになる。
先生は、レントゲンを撮っただけで③の可能性まで疑ってたんだからすごいと思った。


で、原因の歯を神経まで削って確かめてみたら、案の定3つ通っている神経のうち、1本が死んでたみたい。
神経を通って最近が進入して、中で化膿してるんじゃないかと言われた。
化膿止めの薬を出されて今日の診察は終わり。


そういえば、結構痛みが酷かったので、先生に「何か悪い病気なんじゃないでしょうか」って聞いたら、笑って「それは無いでしょう」って言われた。
こういうときは一笑に付してもらったほうがありがたい。
が、こういうことを患者に聞かせるのもなんか違う気がするんだけど。
治療の最初からなんだけど、淡々と進んでいって、病気がどうなってるかの説明はきちんとしてくれるんだけど、それだけじゃあこっち側としてはどの程度酷いものなのかが分からない。
通常の虫歯だったら、こっちだってそこまで酷いものとは思わないだろうけど、今回は耳の辺りの筋肉が痛むという変な症状だったわけで、こっちとしても変に勘ぐってしまうわけだ。
最初から重い病気ではないということを断言することも難しいとは思うんだけど、できれば病状の程度や難易度まで教えて欲しかったなー。そっちの方がこっちとしても気持ちが楽だから。


あとすっげー気になってることが1つ。
この先生、親知らずを抜くときとか、今回の診察で親知らずの1本手前の歯を開けるときとかに、「○○の処置をしてもいいですかね?」って聞いてくるんですよね。
質問するくらいだから、「難しい治療なんですか?」って聞き返したら、「そんなことは全然無くてすぐ終わる治療だ」そうだ。
おそらく、インフォームド・コンセントの一環として、こちらに選択権を与えてくれてるんだと思うんですが。
若い先生だし、患者の権利に対する意識も高いのかもしれない。

が。
もし、やたらめったら選択権を与える旨でこういう質問をしてくるんだったら、それはおかしいんじゃなかろうか。
つまり、このような権利は人格権の一種の自己決定権に基づくものだけど、これは憲法13条に由来するもので、通説によれば憲法13条により保障される自由は人格的生存に不可欠なものに限られるはず。
具体例で言えば、よく挙げられる乳がんの事例かな。
乳がんにかかった女性が乳房温存療法があったにもかかわらず、それを知らされずに乳房を切除する治療法により乳がんを治療された例で、裁判所は慰謝料を認めた。
女性にとって乳房は母性の象徴という社会通念が成立しており、これを切除するか、それとも残して治療するかどうかは、その女性にとっては人格的生存に不可欠といえるから、このような場合には自己決定権に基づく選択権があると考えるべき。

だけど、普通の病気(症状も一般的で、治療法が確立されているような病気?)はちょっと違うんじゃないかな。
たとえば、風邪を引いて医者に行って、その医者が抗生物質を処方するときに、いちいち患者に「抗生物質を飲むことに同意しますか?」なんて聞いてたら、その医者は間違いなくアホだ。
Aという選択肢とBという選択肢があって、そのどちらを選んでもそれなりの利益を観念できるときに選択権の実益があるんであって、抗生物質を飲まないことに利益はほとんど考えられないんだから、こういうときは選択権を持ち出さなくていいはず。
また、風邪や虫歯なんかは簡単な病気で、それこそ治療法が確立されているはずだから、医者と患者間の契約は請負的な性格がかなり濃いと言えるだろう(請負は仕事の完成を目的とする、今回で言えば病気の完治)。
そんな場合に選択権を認める実益があるかはかなり怪しい。

とはいえ、新たな治療をすればお金がかかるから、これについて個別に同意を求めていると解釈することも出来る。
けど、患者としては病気の治療という仕事の完成を求めているのであって、それにいたる過程(どのような治療法を採用するか)は原則医者の裁量にゆだねているはず。
複数の治療法があって、そのうちいくつかが保険の適用が効かない治療法である場合には、同意を求めることに意義を見出せないことも無いが、今回のように単に1つ1つの治療に同意を求めるだけで、比較となる治療法を提示しないんだったら、やっぱり同意に意味は無いと思うんだけどなー。


まとめ。
歯医者が同意を求めることは形式的過ぎる。こっちに変な不安を煽るだけ。


今日はこの辺で
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2010.03.21 / Top↑
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